クリエイター詳細
磯野 梨影フォロ―する
- プロフィール
- 武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン科卒。
1987-1995 ソニー株式会社 デザインセンター
1995-1997 PSD associates Ltd(英 ロンドン)
2000- Pear Design Studioとしてデザイナー活動を開始。
2008- 多摩美術大学プロダクトデザイン科非常勤講師
2012- 東京都中小企業振興公社「事業化チャレンジ道場」講師
磯野さんがデザインの道に進んだきっかけは「自分が自然体で楽しみながらできることは何か」と考えた時だったそう。それは、まだ明確な将来像はない高校時代。磯野さんは「誰かの知識をなぞるより、新しいことを創り出したい」という想いから行動を起こしました。しかし、一言で「新しいことを創る」といってもあらゆる選択肢があります。磯野さんはもともと好きだった絵を描くことから、徐々に現在の活動に繋がる立体的なプロダクトへと興味が拡がり、そして美大生に。
美大時代は工芸や工業と、ジャンルをまたいで色々な工房を巡る機会があったそう。その経験や知識が現在の活動スタイルを形作っています。そして卒業後の活動の場。それは後のデザイナー人生にとって大きなインパクトとなるソニーデザインセンターに入ったことでした。当時のソニーは、デザイナーの存在をとても重視しており、デザイナーがプロダクト開発全体のプロセスに関わっていました。企画、設計、デザインが開発工程の垣根を超えて一体となっているような社風でした。
当時からデザインへの先進的な考え方をもっていたソニー。磯野さんは、そういった文化の中で、大ヒットプロダクトとなった【ビーンズウォークマン】をデザインしたのです。【ビーンズウォークマン】が発売された1997年当時は、小さく軽いこと、あるいは機能やバッテリーの持ちを競っていたポータブルオーディオの世界。そこに新しい方向性を示した画期的なプロダクトでした。そのカジュアルで親しみやすいデザインが大ヒットを記録したのです。
磯野さんはデザインする中で、ターゲットである女子高生が集まる原宿や渋谷で街を歩きながらのリサーチを重ねたそう。当時多くのプロダクトがコンパクト方向に向かっていた中で「持っていること自体を楽しむ」という、流れと逆行する着想を得ました。その着想がたくさんの若者に支持されたのです。その後、イギリスを舞台にデザイナーとしてのキャリアを重ね、フリーランスへ。
会社時代は電機製品を専門にしてきた磯野さん。フリーランスになってからは、自身の生活により近いユーザーへ向けたモノの開発に携わることが多いそう。例えば子供向けや、女性向けのプロダクトです。そして活動の幅は、デザインの考え方を必要としている中小企業をサポートする講師へと広がっています。
色々な中小企業とのものづくり現場で、「自社の強みが見えている中小企業の方々は、仕事にしっかりとした哲学をもっている。だからこそ、とても面白いものづくりができる」と感じているそうです。磯野さんは、ものづくりにおけるデザイナーの在り方を「潤滑油」や「触媒」と表現されています。それは、ものづくりに関わる人のコミュニケーションを促進し、新しい発想の起点になる化学反応を起こす役割です。
磯野さんがデザイナーとして大切にしている考え方。それは「人が中心になるものづくり」ということです。つくる側の論理がつい優先されがちなものづくり現場。それゆえに、つくられたものが生身の人と関わる明確なイメージを持てる、ユーザーの代弁者が必要です。磯野さんは、それを担うのがデザイナーの役割だという信念をもっているのです。
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