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三宅 一成

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三宅 一成

プロフィール
1973年兵庫県生まれ。 多摩美術大学プロダクトデザイン科卒業後に渡英。 現地のデザイン事務所で経験を積み1999年帰国。 その後、国内のデザイン事務所勤務を経て、2005年 miyake design 設立。 グッドデザイン賞審査委員。 iFデザイン賞審査委員。

1980年代前半に放映されていた「ネスカフェゴールドブレンド」のテレビCM、「違いが分かる男」シリーズをご存知ですか?三宅さんは小学生だった当時、そのCMに出演していた人物に惹かれてデザイナーの道を志したのです。
TV画面で一際カッコよく輝いていた人物。それは、レーシングカーデザイナーの由良卓也さんです。当時から大の車好きだった三宅さん。そのCMで初めてレーシングカーデザイナーという仕事を知ったそう。しかし小学生の当時、「その職業にはどうすればなれるか?」を知っている大人は周りにいませんでした。

三宅さんは「なりたいものにどうしたらなれるのか?」という疑問を、小学生から高校生まで抱き続けたのです。さらに想いを叶えてさえいます。最初に始めたデザインは、誰にとっても一番難しい「自分自身」だったのではないでしょうか。もちろん、現在進行形ですが。

しばらくはデザイナーへの道が見つけ出せなかった三宅さん。ある時、転機が訪れます。それは高校の部活で知り合った友達が、三宅さんと同じくデザイナーを目指していたこと。そこで偶然「デザインは学校で学べる」ことを知ったのです。
そこからデザインを学び始めた三宅さんは、一切ぶれることなく、一直線にレーシングカーデザイナーへの道をひた走っていきました。ただ、レーシングカーデザイナーの世界は、狭き門の向こう側。しかし、三宅さんはその門をこじ開け、念願のスポーツカーやレーシングカー専門の自動車メーカーでキャリアをスタートさせることになったのです。
カーデザインの世界では、オプションパーツを中心にデザインしていた三宅さん。しかし、徐々に想い描いていたイメージとのギャップを感じ始めたそう。それは次第に「もっと人に関わるデザインをしたい」という明確な気持になっていったのでした。

三宅さんは、ご本人曰く「一回想い始めたら止まらない性格」とのこと。
やっと実現したカーデザイナーの道を、1年程できっぱりと絶ちました。そして英語を学びに単身イギリスへ。そこでのインターンから縁が繋がり、あのIDEEでインテリアデザインの道に入っていったのです。そこからIDEO Japanを設立した深澤直人さんの元で経験を積まれます。これは必然なのか、かつて想い始めて止まらなかった「人に関わるデザイン」を追求する道へ。幼少の頃から、ご自身が思い描くイメージを粘り強く具現化してきた三宅さん。当時、デザイナーとしてとても恵まれた職場環境だったそうです。

しかし一転、順風満帆だった三宅さんは独立の道を選びました。ある時「自分でモノゴトを決めたい」と思ったことがきっかけに。
ただ、これだけキャリアを積んだ三宅さんでも、独立後はとても厳しい日々だったそう。それは現状を「こうやって会社って倒産していくのか」と、思わず客観視してしまうほど。とにかく耐える日々だったのです。

そんな窮地でも、やはり三宅さんは行動を起こすことで転機を迎えます。当時、仕事をしたにも関わらずデザイン料が支払われていない案件があったそう。既に担当者が退社しており状況は絶望的。そこで一か八か、社長宛に直筆の手紙を送ったのでした。
その行動が功を奏して、社長が状況を理解してくれたのです。独立して一番大変だったという3年目に思わぬ臨時収入が。
しかし、三宅さんはさらなる行動に。なんと、なけなしの臨時収入を事務所の引っ越しに充てたのです。理由は定かではないそうですが、ご本人曰く「引っ越してから、なぜだか状況が好転していった」そう。
窮地でも「念じて行動すれば必ず叶う」という三宅さんの神がった言葉にとても説得力があります。丁度、お話をお伺いしている時は夕暮れ。白い壁に反射した夕日は、まるで後光のようでした。

デザイナーとしてすばらしい実績を積んできた三宅さん。ですが、飽くなきチャレンジは現在進行中。自分の実力が海外で通用するのか。果敢に挑戦の場を求めているのです。


そして、既にゼロからのプロジェクトを異国で始動させているそう。
まるで一本の映画をみているようなインタビュー。三宅さんのお話をおうかがいしていると、自然に「自分も何か創りたい」という想いになっていたのでした。

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